葬祭年史
死と葬儀に関わる儀礼を通じ、
多様化や個性化にも対応していく。
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任意団体として全国霊柩自動車協会が
発足 昭和21年1946 -
「平和公園」の計画スタート 昭和22年1947
名古屋市内に点在する寺の墓を一か所に集めた墓園の計画をスタート(1981年に移転完了)
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「墓地、埋葬等に関する法律」施行 昭和23年1948
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東京都が都民葬(現在の区民葬の前身)
を開始 昭和24年1949 -
霊柩車製造会社として米津工房が創業 昭和26年1951
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装具問屋が全国的に祭壇を販売し普及 昭和28年1953
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全日本葬祭業組合連合会設立 昭和31年1956
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日本の火葬率が60%超え 昭和35年1960
1960年以後火葬率が急激に上昇し、この頃から家墓(かぼ)が急増。
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JA(農協)が葬祭事業に取り組む 昭和39年1964
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田茂元首相死去、戦後初の国葬を無宗教
式にて挙行。
最初の生花祭壇となる 昭和42年1967 -
光文社カッパブックスより『冠婚葬祭
入門』が発売、空前のベストセラーに 昭和45年1970菊のラインで象る生花祭壇が北海道で流行。葬儀と告別式を合わせる簡略化された葬儀が一般化
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洋風の霊園「東京都立八王子霊園」が
登場 昭和46年1971 -
互助会初、葬儀会館を新潟県新生活
互助会が開設
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全互協、第1回葬祭学ゼミナール開催 昭和50年1975
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礼自動車が洋型霊柩車をアメリカより
輸入全日本葬祭業組合連合会が全日本葬祭業協同組合連合会(全葬連)に名称変更し、通商産業大臣の認可を受ける
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安楽死協会(現・日本尊厳死協会)成立 昭和51年1976
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全葬連、葬祭事業実態調査を実施 昭和52年1977
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病院での死者が自宅での死者を上回る 昭和55年 1980
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全葬連、一般葬祭専門士認定講習開催 昭和59年1984
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民間斎場が大幅に増加 昭和60年1985
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葬送文化研究所(現・日本葬送文化学会)
設立
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石原裕次郎死去、一部海洋散骨を実施 昭和62年 1987
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一般日本人対象の最初のエンバーミング
が埼玉で行われる 昭和63年1988 -
天皇陛下崩御。霊柩車に洋型霊柩車が
使用され、洋型霊柩車が人気に 平成元年1989 -
霊柩運送事業が免許制から自由化し許可
制に。 平成2年1990この頃から、公営火葬場の建設にあたり宮型霊柩車乗り入れ禁止を住民と協定するところが出てくる。
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「葬送の自由をすすめる会」が相模湾
で自然葬」と名付け散骨を実施。 平成3年1991この頃より、斎場(葬儀会館)の建設競争が始まる
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葬儀前契約りすシステムが開始。 平成5年1993
(現在は葬儀だけでなく高齢者の生活支援全般を支援するシステムに
霊柩運送事業の自由化となり、バン型輸入、または国産の洋型霊柩車が増加
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「第一回葬祭サービス技能審査協議会
開催。 平成6年1994全互協、全葬連で国家資格取得に向け協議
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日本遺体衛生保全協会(IFSA)設立
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名古屋市、「葬祭業者が八事斎場の火葬担当者へ現金を渡す習慣」を禁止
永六輔の『大往生』が人気となり、「茶の間で死や葬式が話される時代が来た」といわれる
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日本初、ガーデニング霊園「佐倉ふれあ
いパーク」が千葉県に開園 平成7年1995「お別れの会」「偲ぶ会」が行われるよになり、「密葬」に代わり「家族葬」という用語が登場。この頃から他業種からの葬祭業への新規参入が激化
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通夜の会葬者が告別式の会葬者数を上回
る傾向に
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井上治代が『遺言ノート』をKKベスト
セラーズより発行 平成8年1996 -
労働省(現・厚生労働省)認定、第1回
葬祭ディレクター技能審査試験実施
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葬儀会館「ティア」が名古屋市に設立 平成9年1997
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岩手県一関市の祥雲寺が日本初の「樹木
葬墓地」を開設 平成11年1999「墓地、埋葬等に関する法律」の施行規が改正され、火葬場での分骨証明、無縁墳墓の改正手続きが簡素化
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「家族葬」が全国的に人気に。 平成12年2000
また、福祉葬以外で葬式を省き火葬のみの「直葬」が都市部で急増、小型斎場(会館)も増加
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「手元供養」の製作・販売やインター
ネットによる葬儀社紹介が開始 平成14年2002 -
宮型霊柩車製造大手、米津工房が倒産
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大企業の社葬がホテルを会場に無宗教の
お別れ会方式で行われることが増える 平成16年2004また、福祉葬以外で葬式を省き火葬のみの「直葬」が都市部で急増、小型斎場(会館)も増加
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「孤独死」が話題に 平成17年2005
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全互協、葬祭空間発表会を実施 平成18年2006
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総務省近畿管区行政評価局が「葬祭業
の取引の適正化に関する調査の結果」
を公表 平成19年2007 -
全互協、映画「おくりびと」公開に特別
協力 平成20年2008 -
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映画「おくりびと」が全米アカデミー
外国語映画賞受賞 平成21年2009 -
大手スーパーイオンが葬祭業へ進出
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ユニクエストが「小さなお葬式」
リリース -
葬祭サービスも特定商取引法の適用対象となる
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宮型霊柩車のシェアが3割を切る(全霊協調べ)
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異業種のインターネット使用による葬儀業界への参入
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111歳男性のミイラ化遺体発見、所在
不明高齢者が問題に 平成22年2010 -
「エンディング ノート」が新語・流行
大賞にノミネート 平成23年2011 -
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消費者庁、「葬祭事業者における葬儀
費用に係る表示の適正化について」公表 平成24年2012葬儀広告に対し口頭注意
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名古屋市の火葬場「八事斎場」にて、
友引時も火葬実施 -
「終活」が新語・流行語大賞トップテン
選出
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名古屋市内の火葬件数が増加のため、
名古屋市立第二斎場を稼働 平成27年2015 -
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AIによる「まばたきする遺影写真」が
話題に 平成31年2019 -
プロジェクションマッピング祭壇の導入により、造花で彩られた祭壇が色鮮やかに変化
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「平和公園」の計画スタート 昭和22年1947
名古屋市内に点在する寺の墓を一か所に集めた墓園の計画をスタート(1981年に移転完了)
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東京都が都民葬(現在の区民葬の前身)
を開始 昭和24年1949 -
装具問屋が全国的に祭壇を販売し普及 昭和28年1953
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日本の火葬率が60%超え 昭和35年1960
1960年以後火葬率が急激に上昇し、この頃から家墓(かぼ)が急増。
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田茂元首相死去、戦後初の国葬を無宗教
式にて挙行。最初の生花祭壇となる 昭和42年1967 -
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洋風の霊園「東京都立八王子霊園」が
登場 昭和46年1971 -
互助会初、葬儀会館を新潟県新生活
互助会が開設
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安楽死協会(現・日本尊厳死協会)成立 昭和51年1976
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病院での死者が自宅での死者を上回る 昭和55年 1980
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民間斎場が大幅に増加 昭和60年1985
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葬送文化研究所(現・日本葬送文化学会)
設立
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一般日本人対象の最初のエンバーミング
が埼玉で行われる 昭和63年1988 -
霊柩運送事業が免許制から自由化し許可
制に。 平成2年1990この頃から、公営火葬場の建設にあたり宮型霊柩車乗り入れ禁止を住民と協定するところが出てくる。
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葬儀前契約りすシステムが開始。 平成5年1993
(現在は葬儀だけでなく高齢者の生活支援全般を支援するシステムに
霊柩運送事業の自由化となり、バン型輸入、または国産の洋型霊柩車が増加
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日本初、ガーデニング霊園「佐倉ふれあ
いパーク」が千葉県に開園 平成7年1995「お別れの会」「偲ぶ会」が行われるよになり、「密葬」に代わり「家族葬」という用語が登場。この頃から他業種からの葬祭業への新規参入が激化
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通夜の会葬者が告別式の会葬者数を上回
る傾向に
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葬儀会館「ティア」が名古屋市に設立 平成9年1997
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「家族葬」が全国的に人気に。 平成12年2000
また、福祉葬以外で葬式を省き火葬のみの「直葬」が都市部で急増、小型斎場(会館)も増加
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大企業の社葬がホテルを会場に無宗教の
お別れ会方式で行われることが増える 平成16年2004また、福祉葬以外で葬式を省き火葬のみの「直葬」が都市部で急増、小型斎場(会館)も増加
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全互協、葬祭空間発表会を実施 平成18年2006
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全互協、映画「おくりびと」公開に特別
協力 平成20年2008 -
111歳男性のミイラ化遺体発見、所在
不明高齢者が問題に 平成22年2010 -
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消費者庁、「葬祭事業者における葬儀
費用に係る表示の適正化について」公表 平成24年2012葬儀広告に対し口頭注意
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名古屋市の火葬場「八事斎場」にて、
友引時も火葬実施 -
「終活」が新語・流行語大賞トップテン
選出
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AIによる「まばたきする遺影写真」が
話題に 平成31年2019 -
プロジェクションマッピング祭壇の導入により、造花で彩られた祭壇が色鮮やかに変化
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